幾度もの試練を乗り越え、そのたびに新しいことにチャレンジしてきた遊子(ゆす)漁協。幾度もの試練を乗り越え、そのたびに新しいことにチャレンジしてきた遊子(ゆす)漁協。

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遊子(ゆす)漁協

更新日:2017/12/15

一度は清算の憂き目にあった漁協が、生き残りをかけて養殖に転換

愛媛県の県庁所在地である松山市の中心部から車で2時間。今回訪れた遊子(ゆす)の街は、宇和島市の中央部から突き出た三浦半島の北側にあります。周囲はリアス式海岸で、港は約400年の歴史を持つ段畑に取り囲まれるように佇んでいます。

1949年(昭和24年)に漁業協同組合が設立され、当初は巻き網を用いてのイワシ漁が盛んに行われていました。しかし昭和30年代に入って、巻き網漁は崩壊してしまいます。原因は長期的な視点を持たずに漁を行ってしまったため、魚が獲れ過ぎて価格が暴落したこと。それによって漁業従事者の経営が成り立たなくなり、遊子漁協は一度、清算の憂き目にあってしまいました。

再出発にあたって取り組んだのは、養殖業への転換。真珠の母貝であるアコヤガイの養殖を始め、それとほぼ同時期にマダイやハマチ、シマアジなどの魚類の養殖に乗り出しました。しかし最初は養殖に関する経験が乏しく、上手くはいきません。試行錯誤を繰り返し、ようやく軌道に乗り始めたのは昭和50年代になったころからでした。

アコヤガイに続いて、真珠そのものにも取り組み、質の高い真珠を養殖してきました。しかし時代が平成に移ろうとするころ、遊子漁協を次なる試練が襲います。平成8年(1996年)に全国規模でアコヤガイの大量死が発生したのです。その影響をまともに受け、養殖家は次々と廃業。またバブル経済の崩壊やリーマンショックなどの社会情勢の変化や、少子高齢化もあって、最盛期に約230人いた漁業従事者は、1/5くらいにまでその数が減りました。

昭和30年代の漁協清算に続く危機的状況でしたが、遊子の人たちは決してあきらめませんでした。生き残りをかけて、平成12年(2000年)に最先端の冷凍技術を導入。それにあわせて、水産加工場も自前で構えました。今では活魚のまま、あるいは陸で活け締めにして出荷されるものに加えて、三枚おろしや切り身に加工してから冷凍し、商品として出荷されるものもあります。平成に入って新たな取り組みに着手した経緯を、代表理事組合長の松岡真喜男さんは、こう語ります。

「大手市場の消費地は遊子から遠くて、送るのに時間がかかるんです。たとえば東京に着くのは、水揚げしてから2~3日後。当然、品質は落ちてしまいます。これをなんとかしなくてはいけないと考えていて、平成10年(1998年)に今の冷凍機を発見したんです。当時は冷凍した魚は刺身では食べられないという考え方が当たり前でしたが、ウチから魚を持っていって冷凍して、刺身で試食をしました。するとしっかりとした食感があって、味も活魚と変わらない。これはイケるとなって、導入を決めたんです」

養殖技術も、時代とともに進歩しました。昔は生エサを与えていたのが、今ではビタミンなどを混ぜた固形エサで魚を育てています。そのことによって安定供給が図れるとともに、最良の状態で水揚げができる日数が調整できるなど、質のコントロールも万全に行えるようになりました。最新の養殖技術と冷凍技術があわさったことで、品質のいい魚を安定して市場に供給することが可能になったのです。

とはいっても当初は養殖魚であり、しかも冷凍品となると、懐疑的な目が向けられることも少なくはありませんでした。

「これを始めたころは、あちこちに営業に行っても冷凍ということで、いい反応はありませんでした。それを実際に食べてもらいながら地道に営業することを、5年くらいかけてやったんです。今の取引先のほとんどは、そのときにお付き合いをはじめてくれたお客さんたちですね。売り上げは右肩上がりとはなっていませんが、評価が得られ始めたことは実感しています。ゆくゆくは必ず加工品が注目されると考えていますので、これからも販路を広げて行きたいと思っています」(松岡さん)

幾度もの試練を乗り越え、そのたびに遊子漁協は新しいことにチャレンジしてきました。それこそが遊子の人たちの気質だと、松岡さんは語ります。

「なにもせずにじっと待っているのは、遊子のスタイルではありません。ダメなときだからこそ、なにかをしようじゃないか。それが上手くいかなければ、やめればいい。そういう風潮が、ここにはずっとあるんです。僕らは上の世代から、『我々は一度清算をされた組合だ』と、叩き込まれてきました。新しく入ってくる職員たちにも、その話は必ずします。そういうところから、ここまで来た。だからもう、負けるわけにはいかないんだと」(松岡さん)

女性たちの活発な活動も、遊子漁協の特徴

遊子漁協は、女性部の活動が活発であることも特徴です。昭和30年(1955年)に発足した婦人部がその前身。平成20年(2008年)の組織改編を機に、「遊子の台所プロジェクト」がスタートしました。このプロジェクトを立ち上げた主な目的は遊子のアピールと、とくに若い世代の魚食離れを止めることでした。

漁協内に厨房施設を作り、地元産の水産物を活用した商品を開発。これを販売するために独自のデザインを施したキッチンカーを製作し、四国全域でイベント販売を行っています。

商品開発は、対面販売を通して拾い上げた、消費者の声を取り入れる形で進められます。そうするなかで、プロジェクトのメンバーと愛媛女子短期大学の学生とのコラボで人気商品が生まれました。タイの身をタイ飯で包み、タイの形に焼き上げる「たべ鯛」、タイの竜田揚げを挟んだ「たべ鯛バーガー」などがそうです。

キッチンカーでの販売を始めた当初は30万円ほどだった売り上げが、4年後の平成24年(2012年)には約900万円にまでなりました。同年に内閣総理大臣賞、農林水産大臣賞を受賞するなど、遊子漁協の女性部は全国的にその活動が認められています。

現在の女性部は部長の堀田洋子さんを中心に20名ほどで、なかには20~30代の若いメンバーもいます。結婚を機に遊子に移り住み、女性部に参加しているメンバーもいて、彼女らが育った都会の味を取り入れた新メニューの開発にもチャレンジしています。女性部の活動は漁村での女性の雇用機会の創出につながり、女性による地域の活性化も期待できます。

養殖、冷凍を取り入れた漁業。そして女性たちの活発な活動。そのふたつの新しい取り組みを両輪として、遊子漁協は前進して行くのです。

今回訪れた漁港へのアクセス

遊子漁業協同組合
住所
〒798-0103 愛媛県宇和島市遊子2548番地
営業時間
9:00~18:00
電話番号
0895-62-0211
URL
http://www.yusu.jp/
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